参考

日本とも深い関わりがある台湾。旅行に行く前に台湾のルーツを知ろう!

台湾は激動の歴史を歩んできた島です。世界史に台湾が登場するのは400年ほど前ですが、常に様々な要素が絡み合い、混とんとしたあゆみを続けてきました。

■始まり

台湾には原住民と呼ばれている人々がいます。彼らの起源は南方にあるとされ、わずかにタイヤル族などの一部が台湾を発祥とする伝説を持っています。16世紀を迎えると、欧米列強が台湾近海に姿を見せるようになります。そして、台湾もオランダンによる当地を受けることになります。漢人住民が中国大陸から移り住むようになったのもこの頃。彼らは台湾製南部に定住し、平地に暮らす原住民族との混血を繰り返しました。その後、オランダは明国との遣臣・鄭成功に追われますが、鄭政権もまた、わずか3代で清国に倒されてしまいます。

 

■清国統治下

清国統治時代はオランダと鄭政権によって進められた開拓を受け、農業が盛んになります。19世紀に入り、東アジアが欧米列強の侵略をうけるようになると、日本も台湾に関心を抱くようになります。そして、日清戦争を経て、台湾島は日本領として譲渡され、その後半世紀にわたる日本統治時代を迎えます。

 

■日本統治時代

1895年の下関条約で台湾は日本の国土に組み込まれます。この時、清国の残存勢力は「台湾民主国」を樹立しましたがすぐに崩壊。その後、日本は各地の抵抗勢力を鎮圧し、支配体制を固めます。児玉源太郎総督と後藤新平民政長官の時代に台湾統治の基礎は完成し、驚異的な発展を遂げるようになります。大正時代に入るころからは治安も安定し、各種産業が発達するようになりました。

当初は農業の島ととらえられていた台湾ですが、各地に発電所が設けられ、基隆港や高雄港が本格的に整備されると工業の島へとその位置づけは変わっていきます。縦貫鉄道の開通や各地の治水工事、実業教育機関の拡充などによって、社会は急速に成長していきます。その反面、植民地統治によるひずみも大きく、1930年には原住民族による大規模な抗日事件、霧社事件も起こっています。

昭和期は産業インフラが整い、台湾はますます発展を遂げるようになりました。しかし、戦争の足音が聞こえるようになると、帝国日本の南進基地と位置付けれレ、人々のアイデンティティを日本人に変える「皇民化運動」が推進されます。そして、様々な統制下、多くの悲劇が生まれました。

 

■戦後

終戦を迎えると、日本は台湾の領有権を放棄。日本の統治下から離れます。台湾地区の管理は蒋介石率いる中華民国政府に委ねられますが、横暴な振る舞いを繰り返したため、人々の反感を買います。1947年には是正を求める台湾の人々が立上り、228事件が勃発。1949年には共産党との内戦で中国大陸を追われた国民党政府が国家全体をこの地に移します。全島に厳戒令が敷かれ、白色テロの時代を迎える事になります。人々は言論の自由を奪われ、苦難の時代を強いられました。

その後、権力は蒋介石から息子の蒋経国に受け継がれ、少数の外省人が圧倒的多数を誇る本省人を統治するというゆがんだ構図が固まりました。蒋経国時代は、以前にもまして徹底的な言論統制が敷かれ政権は維持されていきます。

 

■現代

時代は流れ、1987年に38年間も続いた戒厳令が解除されます。翌年には最初の台湾人総統である李登輝が就任。1996年には直接投票による選挙で選出されました。そして、2000年、2004年には民主進歩党の陳水扁候補が当選を果たします。こういった中で各種改革は次々に刊行され、現在は世界でも指折りの民主化が行き届いた国家となっています。現在は中国からの不当な干渉や軍事的恫喝など、内外に多くの問題を抱えるのも事実です。

さらに国際社会においては「国家」として認められていないという現実が有ります。日本も正式な外交関係を持っていない為、民間交流は盛んながらも国家としては不安定な状態を強いられています。